末端おたくのひとりごと

生きてる時代が違うかもしれない 過去にすがるおたくです

カテゴリから外れた日のこと

 

 

 

 

 

渡辺くんのことが大好きで、1番で、渡辺くん中心に回ってた世界が終わった時の話をします。

 

 

 

 

 

 

(めちゃくちゃ言い訳がましいことばっか言います)

 

 

 

 

 

 

 

2016年、私は社会人になりました。

ちょっと特殊な仕事に就きました。休みは不定期だし、1日16,7時間勤務が当たり前だし、基本毎日始発⇆終電だし、なんなら終電間に合わなくてタクシーなんてしょっちゅうだった。徹夜もあった。10日以上働くなんてざらだった。新卒で有給もなければ忙しすぎて希望休も取れない。土日祝なんて1年目休んだ記憶がない。でもやりたい仕事だった。

 

 

2016年5月。

とうとうクリエに入りませんでした。入れませんでした。

渡辺担と言うことができなくなりました。

 

 

クリエを経験してない人達からしたら、

だから?????

って感じだと思います。でもクリエしか単独がなかった当時、クリエに1公演でも入ることがすの担でいるステータスだと私は思っていました。なんなら今でも思ってる。

今みたいにJr.がこんなに恵まれた環境じゃなかった。だからこそクリエでの単独って物凄く大事だった。

 

仕事とはいえ1公演も入らずに終わってしまった時、渡辺担でいる資格が(自分の中で)なくなりました。

 

 

それでも少年たちは行ったし、毎年歌舞伎も欠かさず観に行った。コンサートにだって行きました。その度にやっぱり渡辺くんが大好きで。

というより、渡辺くんのことはこの6年間ずっとずっと1番好きなの。それは今も変わりない。

 

でもやっぱり、あのクリエを見れなかった事が尾を引き、どんなに大好きでも渡辺担と言える日は戻ってきませんでした。

 

 

 

どれだけ時が経ってもクリエの呪縛からは解放されない。一生多分引きずっていくんだと思う。

毎年毎年渡辺くんが大好きだと思っても、あのクリエを経験してない自分はもう名乗る資格がない。

 

 

仕事だからしょうがないし、学生時代もそうだったけど、

すべきことをないがしろにしてまでおたくをすることが嫌だった。そういう人が嫌いだった。

おたく優先して落第してる人もいたし、平気で仕事当欠する人もいた。そうはなりたくなかった。

まあその辺のスタンスって個人の自由なんだけど。

 

 

 

ただ、

仕事を選んだ時点で世界の中心は渡辺くんじゃなくて、自分になった。

 

 

 

わたしの中で、どの界隈でもそうですけど、

“おたく”という概念の時は、どの現場にせよ干した時点で終了だと思ってます。ツアー全通とかそういうことじゃなくて、丸々行かないとかそういうアレで。

 

 

 

まあ結論、やることやって現場ちゃんと回してる古参が1番人権あると思ってるし、叶わないから一生劣等感だし、一度でも手を離したのを一生後悔しながら生きていくと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全然関係ないけど

しょっぴーって呼び名すげえ嫌い