末端おたくのひとりごと

生きてる時代が違うかもしれない 過去にすがるおたくです

懐古しかできない2020、夏

 

 

 

8月になってしまいました。

 

 

楽しみは全部消えていくのに仕事は減らないのほんとに謎。

まあ仕事普段通りにあるだけかなり感謝ではありますが…

 

 

 

気付けば最後の現場から5ヵ月経っておりました。

 この前電話ではお話しできたけど、顔見れてないしノーカンだわ。

4月も電話あったけどなんとまぁ私モチベがゼロ通り越してマイナスだったので、干したんですよ。それも2回も。わいのなけなしの4枠足せた方おめでとうございます。(違う)

7月やっとモチベ取り戻してちゃんと電話しました←

 

てか毎年4月モチベ落ちがち…去年も肉フェス干してディズニー行ったわ

 

 

 

今このご時世ライブ出来ないじゃないですか。観客入れて。

だから過去にすがるしかなくて一生去年のこと思い出してます。

 

 

去年、少なくとも月1で何かしら現場あって。

ピーク時週3とか行ってた。仕事の休みはフル活用だし(当時月7日休み)、仕事終わりに新幹線乗って地方行って、公演終わりにやこば乗ってそのまま仕事行ったなあ(遠い目)

 

 

 

特に8月以降から年末にかけてが怒涛の2019年でした。

あ、5月も割と無茶してた。

仕事→撮影会(受付時間ギリギリ滑り込み)→滝沢歌舞伎

とか

11連勤→翌日大阪フリラ→さらに翌日春ツアー初日→やこばで東京戻る→午前友達と遊ぶ→すのトラなにわがたまアリでやったやつ(名前わからん)→夜友達と遊ぶ→翌日会社のスポーツ大会

とか

まじで体力ありすぎてた5月。

 

ちな、1~7月は

アニドル、メンバーの生誕祭、フリラ、撮影会 ×2日(7枠)、ミュージカル、滝沢歌舞伎 ×2、ハル、SHOW BOY、春ツアー大阪・東京 ×2日・静岡 ×2日

 

8月

仕事終わりにツアーファイナルのパシ横

次の日すののサマパラ

他が、夏イベ2日間3公演、FCイベ、バスツ富士急!

 

9月

16連勤からの北海道ファンミ3日間のみ

 

10月

仕事終わり→撮影会(受付時間ギリギリ滑り込み)

撮影会

撮影会→仕事 ×2日(うち1日は仕事の入り時間に撮影会スタート…権力()使って30分遅入りしました)

ハロパ

 

11月

3月にやったミュージカルのイベ ×3日間4公演(うち1日は仕事終わりにダッシュで物販参加)

冬ツアー 岩手 愛知(仕事終わりダッシュで新幹線→公演後やこば→そのまま仕事)

 

12月

冬ツアー 大阪2日間、京都2公演、カウコン

 

 

 

 

書き出してみると思ったより現場行ってねえわ

 

 

 

仕事もかなり無理言って現場突っ込んだりしてて、ほんとに前職場の方々には感謝しかないです。

どう足掻いても休めない日(仕込み初日とか千秋楽とか古典とか増員日とか諸々)に現場重なって、しかもそれが推しの生誕祭とか毎年のグループの日イベとかツアーファイナルのクリスマス公演とか割とデカめなイベでほんとそこは悔しかった!

 

まじ、推しの生誕行けないのが1番しんどいょ…推し被りの友達にプレ預けて渡してもろたょ…優しいよねほんとに…

そして去年を最後にプレ禁止になったのでもう渡せる日は来ません…

しかもさーーー私今の仕事基本月曜休みなんですけど、今年の推しの生誕祭月曜だったんですよ…でも某ウイルスのせいで中止なんですよねーーーーーほんとに悲しい

 

 

 

 

と夏を懐古するつもりがとりあえず全部みたくなっていますが

 

去年の8月、すの担時代からの友達連れてパシ横行って、次の日は2人ですののサマパラ行ってでめちゃくちゃ幸せだったなあ。

ちゃんと書きたいから記事改める!

 

 

 

 

 

 

今年の夏どころか2020自体めちゃくちゃひまでこれはもうぱんぴ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オンライン特典会一生当たらないんだが

 

 

 

 

 

たぶん地球上で1番喜んだ

 

 

 

 

 

愛と青春キップ

 

 

 

 

 

こちら皆さん観ましたか?

 

 

 

 

どうも

オープニングから泣いた女です。

 

 

 

 

 

なぜかと言うと、渡辺くんとえなちゃんが再び同じ舞台に立っているところを見ることができたからです。

 実に2014年のドリボぶりの共演でした。

 

以前の記事で書いた、渡辺くんのおかげで出会えた舞台女優さん

それが、現在SUNBEAMに所属している、田 口 恵 那さんです。

 

 

 

待ってた、待ってたすぎた(´;ω;`)

 

 

 

 

 

 

 

本題に行く前に、えなちゃんのことを少しお話しします。

 

2014年の滝沢歌舞伎、わたしめちゃくちゃ大好きなんですよ。滝沢歌舞伎の中で1番好き。好きすぎて学生時代の古典芸能のレポートで勧進帳のことやったくらい。

弁慶~~~~~~~~~~~

弁慶と義経の関係えもすぎん?歌舞伎そろそろ鼠じゃなくて義経またやってくんねえかな~

 

義経できる人いなかったわ

 

 

 

そんな話はさておき

えなちゃん出演しておりました。

“いつか”って曲あるじゃないですか。あれ大好きなんだよね~~~~(泣)

 すのと女性ダンサーさんとのペアダンス、2014年渡辺くんとえなちゃんなんです。

※正しくは大サビ前間奏のペアダンスはあずささんとなんだけど、1番終わりすの出てきて一人ひとりスポット当たる時の渡辺くんの時に一緒に踊ってるのがえなちゃんです。

間奏ペアダンスえなちゃんはふっかとです。

 

その時にこの女ダンさん綺麗だし踊り方好みすぎるって思って以来、えなちゃんのファンになりました。ちゃんと現場行くようになったのはもう少しあとだけど。

 

もうかれこれ丸6年応援してる。ちなみにえなちゃんの出演作で特に好きなのは『The Love Bugs』と『アダムスファミリー』と『SHOW BOY』です。 

 あ、もちろん青春キップはもう別枠です。

 

 

 

 

 

 

そんなわけで、えなちゃんと渡辺くんの共演ってわたしにとってはめちゃくちゃ意味のあることだったんです。

 

 歌舞伎のあとにえなちゃんの現場があったりすると、出演しなくなった後も歌舞伎の話したりしてたの毎年ずっと。

 

 

 

 青春キップの発表がある少し前に、私がきっと喜ぶお知らせあるから楽しみにしててねって言われてて。

なんだろうな~って思ってたらこれですよ。職場で崩れ落ちた。

渡辺くんとえなちゃんのこと知ってる人たちにはみんなに祝福されたよ~~~

ほんっとに嬉しかったです。しかもアンサンブルじゃなくて一人の役なのがなおさら嬉しかったです。

 

 

渡辺くん初めての外部舞台、主演、そんな渡辺くんたちと4年ぶりの共演で横並びのえなちゃん。

それを自分の目でしっかり見届けられたことがとても幸せでした。

 

 

 

 

 

 

 

えななべえもすぎて絡むたび泣いてた。

渡辺くんがえなちゃん助けて逃がすシーン号泣だった。

 

てか観劇日ちょうどすの他3人観劇来ててそれはそれはもう。

 

 

 

 

全部自己満の世界だけど、

間違いなくあのキャスティングで愛と青春キップが上演されて、地球上で一番幸せ者だったのはわたしだよ。

 

 

 

 

 

またいつか共演する日が来たらいいな。

 

 

年々私の好きなダンサーさんたちとの共演がなくなってくし、デビューした今もっと遠くなっちゃうのかなそんな未来。

えなちゃんも、あずささんも、ももさんも、ことみちゃんも。

幸さん、りえさんが歌舞伎卒業したらさすがに耐えられんなあ。

 

 

映画版歌舞伎頼むから女ダンさんたちも変わらずいてくれ。頼む。

 

 

 

 

 

 

 

 

某ウイルスの影響で地球ゴージャス幻の1週間に私はもれなく行けなかったんですけど、9月『ハウ・トゥー・サクシード』楽しみにしてます。

大千秋楽はえなちゃんの誕生日。無事に迎えられますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手紙とかプレとか出してもいい世界線に戻ったら

えなちゃんにD.D.あげる準備は整ってる

 

 

 

世界の中心だった時

 

 

 

 

 

 

2014年秋、渡辺くんが世界の中心になりました。

 

 

 

 

 

 

思い返すと、たくさん文句言ったけどどの現場も楽しかったなあ。

 

 

 

 

 

 何のすの現場で何が1番好き?って聞かれたらなんだろう
少年たちではないのは確か。

 

 

 

 

 全部好きだったし楽しかったけど、

2014滝つ、2015クリエ、2015-16ジャニワが特に思い出。

 

2019サマパラもめちゃくちゃ思い出。でもまた違う。

 

 

 

 

 

 

 

 文化祭の出番終わって即新幹線乗ってジャーニー行ったな~

オーラスで外周目の前横尾さんいるのにスカートぶっ壊れて逃げるように外出たの懐かしい…

 

 

 

2015ジャニワ内容正直そんな覚えてないんけど()、スぺトラも少年隊メドレーも好きだったなあ(´;ω;`)

お見送りガチャ、読みに読んで席選んでほんとに渡辺くんだった時の感動忘れない。渡辺くんいなきゃ2階席入らん。いかに自分の席に1番近い扉に渡辺くんいるかに賭けてた。

深澤担と連番した時、それまでの傾向からしはっしーだと思ってたのに、不意打ちふっかで友達唖然として無言早歩きで出てったの面白かったなあ(笑)

おいおい、えびが1階じゃないんか????すぎた(笑)

 わたし、渡辺くんのことお願いしますって言ったんだけど、どの目線すぎるwww

 

 

 

 

アリサマ楽しかったな~~~~~~~~~~

周りのえび担のお姉さんたちがいっぱい協力してくれたのに死ぬほど干されたな~~~

大丈夫ですか?って言われたのほんとに笑う。全然大丈夫じゃなかった。

あの五関担のお姉さんたち全く知り合いじゃなかったのに本当に優しかった…

クリエからの続けてアリサマだったし、4,5,6月って渡辺くんいっぱい会えた。

 

渡辺くんの髪、アクリルたわしめっちゃ懐かしくない???????

髪型炊飯器って言ってた渡辺くん懐かしくない????

 

 

 

少年収のZZLほんっと忘れられない。今度この話はちゃんと書く。

 

 

 

青春キップのことも今度ちゃんと書く。

 

 

 

ここに書いてない現場のこと、作品のことはゆっくり今後書きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

渡辺くんいつの間にファンサちゃんと出来る子扱いなの?????

 

 

 

 というかドリボの存在忘れてた

 

 

 

今は多分ぱんぴ

 

 

ひとつ前であほほど言い訳がましいこと書いたけど、この6年間、干した現場もいっぱいあるし、もはや今はもう在宅です。在宅なのかもわからん。

 

古参にも新規にも嫌われるタイプだなあって自分でも思う。偉そうなこと言うなよって。

 

ただでもやっぱり私にも渡辺くんと過ごしてきた時間があるし、すのーまんへの思いも色々あります。

その辺とか思い出とか今後ちょっとずつ書いていこうと思います。

 

 

 

 

 

 

映画の少年たちは初っぱなのワンカメで早々に酔った記憶があります

 

 

 

カテゴリから外れた日のこと

 

 

 

 

 

渡辺くんのことが大好きで、1番で、渡辺くん中心に回ってた世界が終わった時の話をします。

 

 

 

 

 

 

(めちゃくちゃ言い訳がましいことばっか言います)

 

 

 

 

 

 

 

2016年、私は社会人になりました。

ちょっと特殊な仕事に就きました。休みは不定期だし、1日16,7時間勤務が当たり前だし、基本毎日始発⇆終電だし、なんなら終電間に合わなくてタクシーなんてしょっちゅうだった。徹夜もあった。10日以上働くなんてざらだった。新卒で有給もなければ忙しすぎて希望休も取れない。土日祝なんて1年目休んだ記憶がない。でもやりたい仕事だった。

 

 

2016年5月。

とうとうクリエに入りませんでした。入れませんでした。

渡辺担と言うことができなくなりました。

 

 

クリエを経験してない人達からしたら、

だから?????

って感じだと思います。でもクリエしか単独がなかった当時、クリエに1公演でも入ることがすの担でいるステータスだと私は思っていました。なんなら今でも思ってる。

今みたいにJr.がこんなに恵まれた環境じゃなかった。だからこそクリエでの単独って物凄く大事だった。

 

仕事とはいえ1公演も入らずに終わってしまった時、渡辺担でいる資格が(自分の中で)なくなりました。

 

 

それでも少年たちは行ったし、毎年歌舞伎も欠かさず観に行った。コンサートにだって行きました。その度にやっぱり渡辺くんが大好きで。

というより、渡辺くんのことはこの6年間ずっとずっと1番好きなの。それは今も変わりない。

 

でもやっぱり、あのクリエを見れなかった事が尾を引き、どんなに大好きでも渡辺担と言える日は戻ってきませんでした。

 

 

 

どれだけ時が経ってもクリエの呪縛からは解放されない。一生多分引きずっていくんだと思う。

毎年毎年渡辺くんが大好きだと思っても、あのクリエを経験してない自分はもう名乗る資格がない。

 

 

仕事だからしょうがないし、学生時代もそうだったけど、

すべきことをないがしろにしてまでおたくをすることが嫌だった。そういう人が嫌いだった。

おたく優先して落第してる人もいたし、平気で仕事当欠する人もいた。そうはなりたくなかった。

まあその辺のスタンスって個人の自由なんだけど。

 

 

 

ただ、

仕事を選んだ時点で世界の中心は渡辺くんじゃなくて、自分になった。

 

 

 

わたしの中で、どの界隈でもそうですけど、

“おたく”という概念の時は、どの現場にせよ干した時点で終了だと思ってます。ツアー全通とかそういうことじゃなくて、丸々行かないとかそういうアレで。

 

 

 

まあ結論、やることやって現場ちゃんと回してる古参が1番人権あると思ってるし、叶わないから一生劣等感だし、一度でも手を離したのを一生後悔しながら生きていくと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全然関係ないけど

しょっぴーって呼び名すげえ嫌い

 

 

 

 

 

 

はじまりってなんだっけ

 

 

 

ひとつ前の記事でも書きましたが、今年デビューした人のファンをしています。

というか、多分もうおたくとも言えないし、ファンという括りすらおこがましく感じる。

(まあ正直厳密に言えば本現場は俗に言う地下です。)

 

 

 

 

 

少し昔のことを振り返って、渡辺担になった時の話をしようと思います。

 

 

 

 

元々すのだったらいわなべどっちかが好みって思ってた高校時代。よくある、担当じゃないけどこのグループだったら誰!みたいなやつ。

 

初めて渡辺くんを生で見たのは2013年のDREAM BOYS JETでした。まあ当時担当の孝良くん観に行ってたんだけど!孝良くんあほほどかっこよかったなあ!

でも気付いたらずっとずっと渡辺くんに目を奪われてたドリボ。ただあの頃はなべしょって呼んでたし、なべしょwwwみたなノリだったし、ドリボの次の日Another観に行って結局のえるさんにめちゃくちゃ沸いてた。Another大好きだった。

 

ちなみに先にひとつ言うと、私未だになんですけど、世界で一番好きな作品はプレゾンなのは揺らがないです。ごめん渡辺くん。

 

 

 

前置き長すぎたけど、私が渡辺担になるきっかけは一番仲の良かったおたくがすの担だったからでした。

当時いつも一緒にいたのが深澤担で、七五三掛の現場にも行く子だったので、ほんとに基本全部一緒に行ってた。初めての連番もプレゾンだった。

多分この子と繋がってなかったら渡辺担にはなっていなかったと思う。てかなんなら2人でのえしめのおたくにしてるはずだったくらい(笑)

 

 

来たる2014年、夏プレゾン存分に楽しんだ1ヶ月後になぜか渡辺担だったのはさすがに意味わからんかったなあ(笑)青劇に通ってた夏から、帝劇に通う秋に変わってました。

 

 

そっから少なくとも1年半はがんがんに渡辺くん渡辺くんだったなあ懐かしい

 

 

 

あれ、降りた時の話しようと思ったのに結局よくわからなかった!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、そうだ降りたのってのえるさんに萎えたからだったわ

 

 

 

 

 

ちなみに渡辺くんのおかげで大好きな舞台女優さんにも出会えました。ありがとう

 

 

 

 

 

とりあえず前置き

 

 

基本的に自分の掃き溜め用。

 

きっと内容によっては不快に思う人絶対いると思います。それはごめんなさい。

 

 

 

 

とりあえず今後のブログ書くにあたって

おたく遍歴だけ書いときます。

 

岸孝良くん:2012〜2013

川島如恵留くん(Travis Japan):2013〜2014

渡辺翔太くん(Snow Man):2014〜

二番煎じくん(Mesemoa.):2017〜

小林涼くん:2018〜2019

渡邊圭祐くん:2020〜

※掛け持ちの時期それぞれあります

 

 

 

いや、まじで気が多すぎて笑う

というよりたぶん知り合いにこのブログ見つかったら即自分ってばれるなあ

 

 

基本的に過去のことばっかりになると思います。

あの頃たのしかったな、って